2018年8月8日水曜日

『精読 アレント『全体主義の起源』』牧野 雅彦

 講談社選書メチエ。
 ハンナ・アレントの『全体主義の起源』は、1951年に初版が出された全3部から成る大書である。第1部から順番に、「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」という構成になっている。本当は2017年に出された新版の『全体主義の起原1~3』(「きげん」の漢字が異なる)3冊を読みたかったのだけれど、あまりの値段の高さに手が出ず、まずは本書を読んでみることにした(『全体主義の起原1~3』は新版と言いつつ訳は古いままだとamazonのレビューには書いてある)。
 アレントによるドイツ語版及び英語版からの引用をしつつ、牧野によって解説が加えられている。内容的にはかなり込み入っていて難しい。彼女が一番考えたかったのは全体主義についてであることは明らかなのだけれど、彼女の言う「全体主義」と、我々が義務教育等で習ってきた「全体主義」のニュアンスがかなり異なっているように感じた。全体主義はファシズムでもなければ共産主義でもなく、さらに言えば反ユダヤ主義とも帝国主義とも違う。本書で全体主義国家としているのはヒトラーのナチス・ドイツであり、スターリンのソビエト・ロシアであって 、ムッソリーニのイタリアではない。法律はあるのにそれとは別の超法規的な存在があり、全体主義には階層も権威もなく、ただ大衆(マス)の存在がある。プロパガンダに導かれる運動こそがその根本にあり、それは「体制」ですらない。全体主義を覆う構造は何層にもわたって巧妙に仕組まれたガラス細工のようなものなのではないか、とそんなことは本書では書かれてはいないのだけれど、そんな印象を持つ。
 私は彼女の思考をうまく言葉に訳せないのだけれど、彼女にとってもそれはまだ体系的に理論立てできずにいたままだったのではないか。それがこの『全体主義の起源』という本の難しさにもつながっているように思う。牧野による本書を読むと、なんとなくはその全体像がおぼろげながらもつかめた気にはなるのだけれど、それを一言で要約できるほど私は理解し切れていない。
 ただ、全体主義の恐ろしさは、とてつもなく強く感じた。ヒトラーやスターリンが、人類の歴史のほんの一部の期間だけとはいえ、それを成し遂げてしまったということに驚きを感じる。ある意味において2人は天才(「悪の」とつけてもいいかもしれない)だったのだろう。数多くの偶然も重なって全体主義国家は成立してしまったのだろうが、その「種(たね)」は、現代においてもいくらでもその辺に転がっている。また不幸な偶然が重ならないようにするための知恵は、まず「全体主義」とは何かについて知ることから始まるのだと思う。

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