2018年10月11日木曜日

『朝日ぎらい』橘 玲

 朝日新書。副題「よりよい世界のためのリベラル進化論」。
 本屋に行って報道関係の書籍の棚をみると、その多くが朝日新聞批判の本で埋められている。他の新聞社についての本はほとんど見られない。どうしてなんだろうと常々思っていたところ、本書を見つけ、読んでみることにした。
 結論から言うと、この本には「朝日新聞」そのものが嫌われる理由についてはきちんと書かれていない。リベラルや保守というものがどういう立場を指すものなのか、さらにこのふたつの言葉が日本ではどのように捉えられているかについての解説があり、その上で、リベラルがうさんくさいと感じられる理由、叩きやすい理由、叩かれる理由などについて考察している。おそらく「朝日新聞=リベラル」という前提の上で書かれているのだろう。そんなのは当たり前だという意見もあろうが、私にとってはそうでもない。
 リベラルや保守についての説明はとてもわかりやすい。立場の違いに加えて、どんな人がリベラルになりやすいのかなどについての解説も、(いやな気分にはなるものの)わかりやすい。なるほどこれらはアメリカの分断をよく説明している。ただ、これを日本に置き換えたときに、途端にわかりづらくなる。「日本的リベラル」は、「リベラル」とはちょっと毛色が違うようだ。例えば一応リベラルとされている日本共産党は、今はやや中道寄りに戻ったとはいえ、その前は保守的な政党だったのだという。現政権の安部首相は自分のことをリベラルだと表現したりもしている。ほら、わからなくなったでしょう。
 この辺りの本書での記述は省略するが、リベラルのうさんくささの理由のひとつは、彼らは他人に対してはリベラルを主張するくせに、自分たちはリベラルを実践していないというダブルスタンダードにあると著者は述べている。それを踏まえて、朝日新聞がリベラルを標榜するんだったら、まず自分たちの会社(新聞社)の組織、行動をリベラルにするべきだし、もっと徹底的にリベラルを主張しなさいみたいなことを言っている。簡単に言えば、本書は「日本的リベラル」批判の本である。
 本書の内容は納得できる部分も多いが、一部論理の飛躍があり、ついていけない部分もある。ただ、一般的に「リベラル」とはどういう立場のことを指すのかについては、本書から学ぶことは多かった。ちなみに著者は自分のことをリベラル、さらに言えばサイバーリバタリアンに近いと述べている。

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