2018年8月18日土曜日

『Turn Up The Quiet』Diana Krall

 2017年。ダイアナ・クラール。
 往年のジャズスタンダードを手がけた作品。ダイアナはヴォーカルとピアノ。トミー・リピューマ(Tommy LiPuma)最後のプロデュース作品だという。
 このアルバムについては発売前から買うかどうかずっと悩んでいたのだけれど、札幌にある『カフェ+ギャラリー・オマージュ』というレストランで食事中ずっと流れていて、それがなかなかよかったのでやっと購入に踏み切った。
 最初から、「Like Someone In Love」「Isn't It Romantic」「L-O-V-E」と、安定した演奏と歌唱でどんどん続けていく。ジャズヴォーカル作品としてはある意味王道的なアプローチなのだと思う。安心して聴けるというか、これはこれで完成してしまっているというか。ただ逆に、そのせいでちょっと物足りなさを感じさせてしまっているところがあるようには感じる。演奏や歌、そして曲についてはまったく言うことはないのだけれど、もうひとつ何かが加わってもいいんじゃないかという。完成しちゃっているから加えるものは思いつかないし、贅沢な要求なのかもしれないけれど。

2018年8月15日水曜日

『もうひとつの空―日記と素描』有元 利夫

 新潮社。
 有元利夫は戦後まもなく生まれた日本の画家である。ロマネスク風のフレスコ画のような絵や版画を残し、38歳という若さでこの世を去った。本書はその有元による晩年10年弱の日記や、美術誌などに取り上げられた文章、そして彼の描いた素描などを掲載している。
 素描はすごくうまいというものではないのだけれど、彼が完成させた絵画と同じように、素朴で不思議な雰囲気を漂わせている。文章はとてもしっかりとしていて、芸術に対する真摯な態度が伝わってくる。苦しみながらも自分の描くべき絵のあり方を模索していっている様子がうかがえる。バロック音楽を愛し自らリコーダーも奏でていた彼が、絵の他に大事にしていた音楽と向き合う姿も垣間見ることができる。
 芸術家とは、画家とはこういう人のことをいうのだな、と強く思った。そういえば、「ゴッホの手紙」という本を読んだときも同じような感覚を覚えた。そして逆に私自身を振り返ってみると、絶対に芸術家ではないと断言できる。絵そのものに対する向き合い方がまるで違う。この本を読んでいるときにそのことに気づき、大きなショックを受けることになったが、本物の芸術家の言葉にこうして耳を傾ける時間がとれたことは大きな幸運でもあったのだなと思う。今度彼の展覧会が催される機会にうまく巡り会えたら、必ず足を運ぼうと思っている。

2018年8月14日火曜日

『暴政』ティモシー・スナイダー

 慶應義塾大学出版会。池田年穂 訳。副題「20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン」。
 ヨーロッパでは、イギリスの君主制からの独立宣言(1776)後、3回の大きな民主的な局面を迎えたものの、そのときに建設された多くの民主制は破綻への道を歩んでしまったと著者は指摘する。その3度の局面とは第一次世界大戦後(1918)、第二次世界大戦後(1945)、共産主義終焉後(1989)のことである。著者は歴史は繰り返さないとするものの、歴史から学ぶことはできるとし、本書の中で20のレッスンを行っている。
 その一番初めのレッスンが「忖度による服従はするな」というタイトルなのは、もちろん日本のことを念頭に置いたものではない。しかしこれを単なる偶然と笑って済ませられるほど、軽い話ではない。ナチスドイツが政権を取って全体主義に向かっていったとき、おおむね民主主義に則った形でことは進んだ。その一端を担っていたのは、ごくふつうの国民だったのだという。
 本書で書かれているレッスンのひとつひとつは、それだけで暴政につながることはないかもしれない。しかしそれらが組み合わさったとき、暴政は始まる。「組織や制度を守れ」「自分の言葉を大切にしよう」「自分で調べよ」「危険な言葉には耳をそばだてよ」。どれも当たり前のことに感じるかもしれない。でもその当たり前のことが当たり前でなくなっているからこそ、著者はこうして警鐘を鳴らす。本書はアメリカ国民に向けて書かれたもので、暴政という言葉を明らかに現大統領による政治手法と結びつけている。そしてロシアやトルコの指導者とも。
 おそろしいのは、これらのレッスンが今の日本人にとっても他人事とは言えない内容になっている点だ。歴史に流されてはいけない。歴史に学ばなくてはならないのだ。

2018年8月11日土曜日

『漁の合間(仮題)』

 「北の海」厚田アクアレール第4回水彩画展(ホームページ)で入選しました。もう展示は終わってしまいましたが、北海道石狩市の厚田総合センターで、7月下旬から8月上旬にかけて展示されていました(ただし出品者名も作品名も違うので、検索しても出てきません)。
 「北の海」がテーマなのですが、海に面していない町に住む私は簡単にはスケッチ旅行に出かけられず、アルバムに保管してあった何十年も昔のすすけた写真をベースにしました。山の形も船や家の形や数も、海の色さえも写真とは違うのですが、私が見た漁港の雰囲気はこんなんだったよな、と想像に任せて描きました。
 大部門で応募したのですが、この大きさの絵を透明水彩で描くのは大変でした。アクリルとか油彩の方が大きな絵は描きやすいです。

2018年8月8日水曜日

『精読 アレント『全体主義の起源』』牧野 雅彦

 講談社選書メチエ。
 ハンナ・アレントの『全体主義の起源』は、1951年に初版が出された全3部から成る大書である。第1部から順番に、「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」という構成になっている。本当は2017年に出された新版の『全体主義の起原1~3』(「きげん」の漢字が異なる)3冊を読みたかったのだけれど、あまりの値段の高さに手が出ず、まずは本書を読んでみることにした(『全体主義の起原1~3』は新版と言いつつ訳は古いままだとamazonのレビューには書いてある)。
 アレントによるドイツ語版及び英語版からの引用をしつつ、牧野によって解説が加えられている。内容的にはかなり込み入っていて難しい。彼女が一番考えたかったのは全体主義についてであることは明らかなのだけれど、彼女の言う「全体主義」と、我々が義務教育等で習ってきた「全体主義」のニュアンスがかなり異なっているように感じた。全体主義はファシズムでもなければ共産主義でもなく、さらに言えば反ユダヤ主義とも帝国主義とも違う。本書で全体主義国家としているのはヒトラーのナチス・ドイツであり、スターリンのソビエト・ロシアであって 、ムッソリーニのイタリアではない。法律はあるのにそれとは別の超法規的な存在があり、全体主義には階層も権威もなく、ただ大衆(マス)の存在がある。プロパガンダに導かれる運動こそがその根本にあり、それは「体制」ですらない。全体主義を覆う構造は何層にもわたって巧妙に仕組まれたガラス細工のようなものなのではないか、とそんなことは本書では書かれてはいないのだけれど、そんな印象を持つ。
 私は彼女の思考をうまく言葉に訳せないのだけれど、彼女にとってもそれはまだ体系的に理論立てできずにいたままだったのではないか。それがこの『全体主義の起源』という本の難しさにもつながっているように思う。牧野による本書を読むと、なんとなくはその全体像がおぼろげながらもつかめた気にはなるのだけれど、それを一言で要約できるほど私は理解し切れていない。
 ただ、全体主義の恐ろしさは、とてつもなく強く感じた。ヒトラーやスターリンが、人類の歴史のほんの一部の期間だけとはいえ、それを成し遂げてしまったということに驚きを感じる。ある意味において2人は天才(「悪の」とつけてもいいかもしれない)だったのだろう。数多くの偶然も重なって全体主義国家は成立してしまったのだろうが、その「種(たね)」は、現代においてもいくらでもその辺に転がっている。また不幸な偶然が重ならないようにするための知恵は、まず「全体主義」とは何かについて知ることから始まるのだと思う。

2018年8月5日日曜日

『おいしいうた』福原希己江

 2011年。
 私は知らなかったし観てもいなかったのだけれど、『深夜食堂』というドラマや映画があったのですね。そこで音楽を担当していたのがこの福原希己江というシンガーソングライターなのだという。このアルバムは、そのうちのTBSドラマ『深夜食堂2』で使われた曲が入っている、彼女にとってのファーストアルバムだということらしい。クラシックギターの音色と彼女の声だけのシンプルな構成だ。録音場所が撮影現場と自宅の台所というのがおもしろい。「できること」とか「なかないで」とかふつうの曲もあるんだけど、「からあげ」「あさりの酒蒸し」「青椒肉絲(チンジャオロース)」「肉じゃが」「たいやき」みたいな食べ物の曲も多くて、そっちは全然ふつうの歌詞じゃないから逆に気になってしょうがない。まあ、食堂がテーマのドラマの挿入歌だからそういう曲が多くなってしまうのは必然なのだろうけれど。
 ギターの弾き語りって、聴いていてなんだかほっとする。自分が家で歌うときはどうしてもそういう組み合わせになってしまうから、親しみを感じるのかもしれない。福原はずっとギターを片手に音楽を奏でてきたみたいだけど、2017年からリュートに持ち替えたらしい。どんな音楽に進化したのだろう。ちょっと気になる。

2018年8月4日土曜日

『Portrait of MOONRAY』

 アメリカのテキサス州オースティンを主な拠点とするデュオのバンド「MOONRAY」からポートレートの作製を依頼されて描いたものです。MOONRAYのホームページのPHOTOSにもしばらくの間、アップされているようです。
 7、80年代のポップスを感じさせる、懐かしい雰囲気の聴きやすいサウンドを届けてくれます。今年中にファーストアルバムがリリースされる予定らしいので、興味のある方は是非。

2018年7月27日金曜日

『If All the Young Ladies』Shannon Quinn

 2015年。
 シャノン・クインのセカンドアルバム。彼女はカナダのフォークミュージシャンで、主にケルティック系のフォークを歌っている。ヴォーカルのほかフィドルも担当していて、味のある音色を響かせる。本作にはフィドルメインのインストゥルメンタルも数曲入っていて、その音も存分に楽しませてくれる。ほんのちょっぴりブルーグラスっぽい雰囲気を持つものもあるかな。彼女のちょっとハスキーがかった歌声も、自然で親しみやすい雰囲気があっていい。なんだか懐かしい感じがしてほっとする。ギターの音もなかなかいい味を醸しているんだけど、これを弾いているのは他のギタリストだ。オリジナル曲はあんまりない感じ。でもアルバム全体は統一感があって、とても聴きやすい。彼女のアルバムは初めて手にしたけれど、気に入った。

2018年7月26日木曜日

『グッズ製作ガイドBOOK』グラフィック社編集部

 グラフィック社。
 販促グッズとかって、クリアファイルとか手帳とか缶バッジとかはすぐに思いつくけれど、他にどんなものがあるのか、一般の人には想像がつかないものだ。私も当然その部類で、この本を開くまで、こんなにもたくさんの選択肢があるなんて思いもよらなかった。
 ノート、定規、クリップ、マスキングテープ、紙コップ、ステンレスボトル、絆創膏、ギターのピック、トイレットペーパー、どら焼き、金太郎飴、靴下、タイツ…。すごい種類のものを作れるんだと感動した。そしてそれぞれについて、納期、単価、最小ロットなども載せてある。もちろん連絡先も。
 最小ロットが1000個とか個人には難しいものもあるけれど、マグカップみたいに1個から作れるものもあって、ちょっと試しに作ってみたくなってしまう。それぞれのグッズについて1社しか紹介されていないけれど、どんなものがあるのかこの本で調べて、ネットでいろいろな会社を比較検討してみればよいのだと思う。イメージがふくらんで、とてもいい本を買ったと思った。

2018年7月25日水曜日

『評価の経済学』デビッド・ウォーラー、ルパート・ヤンガー

 日経BP社。月沢李歌子 訳。
 企業でも個人でも、はたまた国家でさえも、他人からの評価に大きな影響を受けている。誰もが「評価ゲーム」に参加しているからだ、と著者は言う。ここでは「能力」に対するものと「性質」に対するものを分けて考えているが、全体として見た場合、それらがどのような評価を形づくっているのかについて論じている。
 著者がこの評価を決定している要素として挙げているのが、「行動」「ネットワーク」「ナラティブ(物語)」の3つである。この3つを軸として、古代ローマから現代に至るまでの多くの人物、企業、国家などを例にとり、「評価ゲーム」の内情をわかりやすく展開してみせている。
 そうやって評価についていろいろと議論しているのであるが、その評価を完全に管理することはできないのだと著者は言う。他人が自分をどう理解するかを操作できると考えることは危険なことだとさえ言う。では我々は指をくわえて何もできないのか。そうではない。他人の自分に対する理解に影響を及ぼすよう戦略を立てることはできる。そしてそこで大事になってくるのが、上で述べた3つの要素なのだと著者は結論づける。
 本書で取り上げられているのは有名人や著名人、大企業ばかりであるけれど、これを自分のこととして置き換えることはもちろんできる。評価ゲームに強い人間は明らかにいるのである。せっかく本書ではその秘密を懇切丁寧に教えてくれているのだから、これを実生活に生かさない手はない。当然、そんなに簡単なことではないけれど。
 なお、蛇足ではあるが、これのどこが経済学なのかはよくわからなかった。

2018年7月23日月曜日

『ちひろメモリアル: 生誕100年 (別冊太陽 日本のこころ 263)』

 平凡社。
 別冊太陽では2007年にもいわさきちひろ特集を組んでいるけれど、今回は彼女の生誕100周年を記念したものとなっている。彼女の愛らしい作品がたくさん掲載されていて、しかも図版が大きいのがとてもうれしい。絵本のこと、『子どものしあわせ』の表紙連載のこと、また、彼女が生まれてから亡くなるまでの写真も多く取り上げられている。家族のこと、家のこと、そして人となり。いわさきちひろという童画家がどういう思想を持って、どのように絵に取り組んできたのか、それをここまであからさまに書いてあるのを読むと、なんだか覗いてはいけない秘密の扉を開いてしまったかのように、逆にこちらがドキドキしてくる。
 私が一番好きな画家かもしれない。小学生の頃から彼女の絵を見て育った。先日ある会合でご一緒させていただいた方に「お好きな画家は?」と問われて、ついフェルメールやシャルダンを挙げてしまったのだけれど、そのときに「いわさきちひろです」ととっさに答えられなかったのを後悔している。

2018年7月16日月曜日

『友への手紙 森田童子自選集』森田童子

 1981年。2016年リイシュー盤。
 16曲入りの森田童子自身の選曲によるベスト盤。当初カセットテープだけの発売だったらしい。透きとおるような絹のような高音の歌声が奏でる悲しい旋律。いや、悲しいのはメロディだけじゃないんですね。歌詞もまた辛い。森田童子を知っている人にとってはそんなのは当たり前なのかもしれないけれど、「ぼくたちの失敗」くらいしか馴染みのない私のような者には結構きつい。曲の合間にはさまれるモノローグもまたそれに輪をかけている。声が美しすぎて繊細すぎて、その声が訴える内容がまたそれにマッチしすぎていて。
 このアルバムを聴く前にはあいみょんをずっと聴き続けていたというのも悪かったのかもしれない。あいみょんに精神をえぐられて、そのあと森田童子を繰り返しかけてさらに精神の内部を犯されてしまったのカナ。ファンだったら一聴の価値はあるのだと思う。

2018年7月14日土曜日

『飛べる、きっと飛べる』

 友人がとった子供の写真がとても素敵だったので、許可を得てイラストの参考に使わせていただきました。色や背景を変えたり飛行機を描き加えたりしてストーリー性を持たせました。
 この子の素敵な未来を暗示させるような表現を目指したのですが、果たしてうまくいったでしょうか。

2018年7月13日金曜日

『青春のエキサイトメント』あいみょん

 2017年。
 確かミュージック・ステーションだったと思うんだけど、そこであいみょんが歌っていた『君はロックを聴かない』を耳にして、一気に引き込まれてしまった。メロディ、音楽スタイル、歌詞の全部が気に入った。
 それでこのアルバムを手にしたのだけれど、2曲目の『生きていたんだよな』を聴いたときは、そのあまりに生々しい描写に背筋にひんやりしたものが走った。生きることをこういうふうに表現しちゃうんだ、という感じで、衝撃だった。この曲だけではない。どの曲も、まっすぐで正直な歌詞が心に響いてくる。キャッチーなメロディと聞き取りやすい彼女の声も、リスナーの心に思いを届ける要素になっているのだと思う。他には、『いつまでも』『愛を伝えたいだとか』『風のささやき』『ジェニファー』あたりが気に入った。
 初めはこの衝撃に戸惑いを覚えたけれど、聴けば聴くほどはまっていくアーティストだ。

2018年7月12日木曜日

『共感のレッスン』植島啓司、伊藤俊治

 集英社。副題「超情報化社会を生きる」。宗教人類学者である植島と美術史家の伊藤による対談。
 「わたし」と「あなた」。「わたし」は「わたし」を飛び出して「あなた」になる。そして「あなた」は「わたし」となる。その境界はいったいどこに引かれるものなのだろうか。「わたし」とは「脳」であると思っている人が多いけれど、そうじゃないんじゃないか。そんなことを、脳科学や生物学、哲学、心理学、文学など、さまざまな分野の成果を同じ俎上に載せて、脳や意識を身体に還元することを試みる。
 あくまで個人的な感想ではあるけれど、その試み自体の重要性は理解できるものの、ここで行われている議論には、正直なところついていけなかった。科学と非科学、あるいは似非科学がごたまぜになって、それらの区別すら判然としない。勢いそこから導かれる結論も怪しげに見えてくる。二人がさまざまな分野の知識を断片的ながらも豊富に持っているのはよくわかる。しかしながらそれらの知識を結びつけるのには失敗しているように思える。科学とは何かについての洞察が足りないのではないか。もちろん彼らのいうように、科学では説明できないことが世の中には山ほどあふれているということには同意するのだが。
 少なくとも私には、本書が共感のレッスンをしてくれているようには思えなかったし、超情報化社会の生き方も教えてくれているようには感じなかった。申し訳ないけれど。

2018年7月7日土曜日

『クラウド時代の思考術』ウィリアム・パウンドストーン

 青土社。森夏樹 訳。副題「Googleが教えてくれないただひとつのこと」。
 グーグルで検索すれば何でも教えてくれる。じゃあ知識なんて蓄えなくてもいいのではないか。そんな風にも思えてくるこの時代。果たして真実はいかに、というのがこの本の主題。
 結構な分量のページのほとんどを、アメリカ人の知識に関する統計や個別事象などの紹介に充てている。そこで示されているのは、驚くほど多くのアメリカ人の知識が乏しいということである。そしてそこに通底して流れているのがダニング・クルーガー効果で、「知識や技術にもっとも欠けた者の特徴は、知識や技術の欠損をまったく理解できない」というものだ。自分に知識がないことを理解していないから、自分に対する過信、自信が生じているというのだ。本書では、それを裏付ける証拠が次々と挙げられている。投票行動や、特定の政策への賛成、反対の立場と、それとはまったく関係がないと思われる歴史や地理、文学の知識との相関などである。そしてそれらからわかるのは、どうでもいい知識でも、それを持つものの方が収入が多かったり金持ちだったりするという事実だというのだ。
 ただ、個人的にはあまりおもしろい本ではなかった。ひたすら何かと何かの相関関係を延々と取り上げているばかりで、著者が結局何を言いたいのかよくわからなかった。そもそも相関関係は因果関係を示しているわけではないし。また、この問題に正答したのは70%しかいなかったとか、この問題は11%もの人が誤答したとかいう文章が混在し、著者の恣意的な数字の扱いに困惑させられた。まあ、こんなことを言うと、本書の内容も理解できないなんて、(著者が主にターゲットとしている)ミレニアム世代に顕著に見られる知識の欠如のせいだ、なんて言われかねないのだけれど。

2018年7月1日日曜日

『あいろーど厚田オリジナルブレンドコーヒー』徳光珈琲

 北海道石狩市厚田区に、「あいろーど厚田」という道の駅がこの春できた。そこで売られていたのがこのコーヒー豆である。徳光珈琲は石狩市の花川という場所に店を構えたのが最初なので、おそらく同じ石狩市つながりでオリジナルブレンドを提供することになったものと思われる。たぶん。
 やや深煎りの酸味の少ないコーヒーで、昔ながらの雰囲気のいい喫茶店で独自ブレンドとして出していそうな味。苦味系とはいえそんなに強い苦味があるわけではなく、上品で透明感があり飲みやすい。ナッツのような香ばしさがまたいい。道の駅の売店で豆が売られているけれど、レジの横にあるコーヒーサーバーでも提供していて、その場でも飲める。

道の駅石狩「あいろーど厚田」』石狩市厚田区厚田98-2
徳光珈琲

『はじめてのゼンタングル』さとう いずみ

 自由国民社。
 「絵心ゼロからのスタート!」「誰でもできる!新感覚アート」と謳っているだけのことはあって、とてもわかりやすい。ゼンタングル(Zentangle)というのはパターンアートの一種で、リック・ロバーツとマリア・トーマスという人が2004年に教えはじめたのが最初らしい。アメリカ、日本など、各国で商標登録されているという。様々なパターン(公式サイトによると、1000パターン以上)を組み合わせて、ひたすらペンで描き続けるというもので、失敗がない、無心になれるというのがいいのだという(ゼンタングルの「ゼン」の語源が「禅」だというのも納得できる)。そんなゼンタングルに初めて取り組む人向けに、100パターンの描き方を丁寧にわかりやすく解説し、ギフトタグやエコバッグなどの模様への展開などを紹介しているのが本書である。
 おもしろいなと思った。適当に描いても結構いい感じに仕上がって、洗練された印象の作品ができあがる。あまり考えないで描いているのに、できあがったものはかっこいい。ただ、私にとってはそれがちょっと退屈で、性には合っていない感じがした。自分の作品には自分の意思を込めたい。とはいえ、このパターンの引き出しは、ちょっとした背景や衣服などの模様を描く時には役に立ちそうな気はする。というわけで、本書に取り組むことでゼンタングルに入門できたことは、よかったんだと思う。
 この本自体は、ゼンタングルを始めたい人にとって、とてもいい本だと思います。興味のある人は是非。

2018年6月28日木曜日

「紅露はるか個展 Lighting」カフェ+ギャラリー・オマージュ

 2018年6月27日~7月16日。
 札幌の電車通り沿いにある雑居ビル。こんなところにギャラリーなんてあるの?といぶかりながらも中を進んでいくと、ほどなく右手にお洒落な空間が現れた。ドアを入ると右側がギャラリーになっていて左側がカフェになっている。事前にギャラリーだけの鑑賞だけでもいいと聞いていたので、遠慮しながらも右手に進む。
 都会の喧噪にありながら、それが嘘のような静寂な空気に包まれる。メルヘンと言っていいのかどうかわからないけれど、シンプルな構成の小品ばかりなのに、一瞬で絵本の中に入り込んだような気分におちいる。彼女は日本画家なのだという。私は日本画についての知識はほとんど持ち合わせてはいないのだけれど、ここにある作品すべてに共通する、フレームにガーゼを貼ったような表面の質感も、日本画と関係があるのだろうか。それともこれは彼女独自の画法なのだろうか。そんなことを考えて見ていると、いつの間にか頭の中をピアノのワルツが流れているのにハッとする。いいな。こんな絵を描けたらどんなに楽しいだろう。
 閉店ギリギリに行ったせいか、ギャラリーの中には最初から最後まで私しかいなかった。この素敵な空間をひとりっきりで満喫したあと、帰りがけにカフェの人とちょっとおしゃべりして、ビルの外に出た。家に帰ってこのカフェのことを調べてみると、あの『モンペール』が昨年リニューアルオープンしてできた店なのだという。そういえばさっき話をした女性はどこかで会ったような懐かしい感じがあった。ここのシェフは『モンペール』の前は『サラ』という店で料理を作っていたのだけれど、私はその頃からこのシェフの作る料理が好きだった。今度来るときは食事もしていこうと思う。
 最後はなんだか脱線してしまったけれど、彼女の絵には本当に癒やされる。


カフェ+ギャラリー・オマージュ』札幌市中央区南1条西5丁目16-23プレジデント松井ビル100 1F

2018年6月24日日曜日

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』山口 周

 光文社新書。副題『経営における「アート」と「サイエンス」』。
 タイトルにある「美意識」は、本書の中では「アート」として扱われている。そしてその「アート」とは美術のことを指すのみならず、哲学や文学などの人文系の分野を含む大きな枠として捉えている。その上で、これまで「サイエンス」と「クラフト」が中心だった経営概念に「アート」を加えて、3者のバランスをとるべきだとしている。「サイエンス」の特徴として挙げられるのは論理的、理性的であるということであるが、今の時代、この論理的・理性的な情報処理スキルが限界に来ているのだという。みなが論理や理性に沿って決断を行うと、すべての企業は同じ戦略をとることになってしまい、頭を一歩抜き出すことができなくなる。そこで、論理性は担保した上で、それで判断できないことに対しては感性や直感、つまり「アート」を重視していかなければならないとしている。そして日本はその流れに少し乗り遅れているけれど、日本の伝統的な美意識は国際的優位性があるのだから、これからはうまく「アート」の概念を取り入れることで、また世界で活躍できる企業が育つ土壌はあるのだと希望を託している。
 このような全体的な著者の結論に対してはまったく異論はない。ただ、この話は主に経営層の話なんだろうなと思った。私の身の回りを見てみても、世間の人たちを見てみても、論理的スキルがきちんと身についている人はそれほど多くはない。論理すらたどれない人が感性や直感のみに頼って行動するのは、経営としてはリスクが高すぎる。本書にしても、論理的に説明できることまで感性に訴えたり、論理で説明できないはずの感性を論理的に論じてみたりと、内容が破綻しているところがある。それほどまでに、プロにとっても論理性の担保は難しい。
 そのような些末な点はひとまず脇に置きさえすれば、上で述べたような著者の説明は十分に納得できるものだ。技術力だけが高くても製品が売れるとは限らない。また、技術は再現可能ということでもあるから、たとえ一度技術力によってトップに躍り出たとしても、他社はそれを真似することができて、すぐにコモディティ化してしまう。そうなるとそこから先はコスト競争力の世界になってしまう。そういったループに陥らないためには「美意識」つまりは「アート」で差をつけなければならない。なるほどである。

2018年6月23日土曜日

『Yoru Wo Koeru』高井息吹(Eve)

 2015年。当時「Eve」としてリリースしたファーストアルバム。2016年にアーティスト名を「Eve」から「高井息吹」に変更し、このアルバムも2017年以降、高井息吹名義で発売されている。
 ある日テレビから流れてきたトヨタのCM「流れよ、変われ。」のバックで流れていた彼女の声に、見事にはまってしまった。絞り出すような歌声はちょっぴりSalyuを思い起こさせるものの、全体の雰囲気はなんとなく青葉市子にも似たような感じもする。以前からピアノを弾いてきたようで、このアルバムでも軽やかなピアノの響きに乗って、しっかりと歌い上げる。CM曲はここには入っていないけれど、その落ち着いた感じは、アルバムに収められている「wonder land」「ゆらゆら」「掴めないもの」「フィナーレ」「透明」に通じるところがある。対して「雨雫のワルツ」「きりん座 (band ver.)」は明るくポップな感じで、当初抱いていたイメージとは全然違く曲。でもなんだかそのギャップにもちょっとときめいてしまう自分がここにいる。お気に入りのアーティストがまた増えた。

2018年6月16日土曜日

『「大学改革」という病』山口 裕之

 明石書店。副題「学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する」。
 昨今「大学改革」という言葉が新聞上を賑わすようになって久しい。ではその「大学改革」の実体とはどういうものなのか。どういう問題点があるのか。大学とはどんな存在であるべきなのか。そのような点について、本書では論じている。
 世界各国の大学の歴史を紐解き、国によって大学がどのような位置づけにあり、どのように変遷してきたのか、詳しく語られる。そしてそれらと比較することにより、日本において大学とはどういう存在であったのか、あるいはあるのかについて、入試選抜の方法や企業の就職慣行、日本の社会保障との関係を念頭に置きつつ、解読していく。
 現在「大学改革」の名の下に行われている教育予算の削減、大学間や大学内の教員に課せられている競争主義、企業活動に役立つ学問をという政財界からの要請。これらが大学における教育、研究に対してどのような弊害をもたらしているのかを明らかにし、今後、日本の大学はどうあるべきかについての処方箋を提示する。
 著者の提言はやや抽象的で理解するのは少し難しい。しかし大学改革における論点はしっかりと整理されており、個々の議論に対する著者の指摘は的を射ている。今後の大学のあり方とはつまり、今後の日本のあり方でもあり、国民生活とも切っても切れない関係にある。その大学の今後を、財界および政界任せにしておいてはいけない。そんな著者の思いが伝わってくる。

『グァテマラ・エル・ロサリオ(2018)』横井珈琲

 Guatemala El Rosario。グァテマラのエル・ロサリオ農園のコーヒー。
 苦味の強いコーヒーで、カカオ含有量の多いミルクチョコといった感じ。無理やりベリーやリンゴっぽい風味を感じると表現できないでもないけれど、フルーティーさはほとんどない。スペシャルティコーヒーといった雰囲気はあまりないものの、バランスがとれていて、よくできたブレンドっぽい感じがする。苦味が強いといってもそれはやわらかい苦味なので、喫茶店でいえば、フレンチブレンドじゃなくてマイルドブレンドとして出される類いのコーヒーなのだと思う。ただ、喫茶店で出るマイルドブレンドは、一般にこのコーヒーよりも酸味の強いものを使っていることが多いけれど。昔ながらのコーヒーのイメージに近いので、ふだん飲みには最適である。

工房 横井珈琲

2018年6月12日火曜日

『Different Stars』Trespassers William

 2003年。トレスパッサーズ・ウィリアムのセカンド・アルバム。
 ロッテ・ケストナー(Lotte Kestner)つながりでトレスパッサーズ・ウィリアムのアルバムを初めて聴いたのは、サードアルバムの『Having』だった。それは少し自分が望んでいたものとは違ったけれど、そう悪いものでもなかったので、このセカンドアルバムも聴いてみた。ちなみにロッテ・ケストナーの本名はアンナ・リン・ウィリアムズ(Anna-Lynne Williams)で、トレスパッサーズ・ウィリアムではヴォーカルやギターを担当している(バンドは2012年に解散)。
 ジャンル的にはインディーロックとかドリームポップとかいうらしいけれど、私はそういう音楽区分のことはよくわからない。ただ、このアルバムは好きだ。ロックだけれど静かでアンビエントな香りが漂う。宇宙空間に配置された星のように、空間のわりに音数のあまり多くない音楽を覆うようなアンナ・リン・ウィリアムズのつぶやくような歌声。いいな。君と僕はきっと違う星の下にいる。

2018年6月3日日曜日

『(Songs From) The Sandbox』Tessa Rose Jackson

 2013年。テッサ・ローズ・ジャクソン。オランダのシンガーソングライター。
 彼女のことは、ここ数年リリースされたニュートン・フォークナー(Newton Faulkner)のアルバムに一緒にヴォーカルとして参加していたので知った。いくぶんハスキーがかった歌声がなんだか心にとても馴染むように入ってきたので、もうちょっと彼女の歌声を聴いてみたかった。
 彼女は今のところこのアルバムしかリリースしていないようだ。自分のレーベルから出している。ややフォーク寄りのポップという感じで、80年代から90年代にかけての音楽っぽいところがあるせいか、ちょっと懐かしい感じがする。アコースティック・ギターの音とこの声はとても相性がいいように思う。なんだか手作りっぽさもあって、ほっこりと暖かい気持ちになる。次回作も聴いてみたい。

2018年6月2日土曜日

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』新井 紀子

 東洋経済新報社。
 著者は、AI(人工知能、AI技術)を使って東大合格を目指す「東ロボくん」プロジェクトを運営していた数学者である。今のところ教科によっては東大合格レベルには達しているものの、全体では合格レベルには至っておらず、今後もそれは無理だろうという。国語や英語が足を引っ張っているらしい。コンピュータができることは所詮四則計算だけであり、意味を理解することができない。SiriとかAmazon echoとか、話しかけるといかにもそれらしく答えてくれる機械はあるけれど、意味を理解してそう答えているわけではないのだという。つまりAIには読解力がないのだ。そういったコンピュータの仕組みを考えると、AIの能力が人間を超えるシンギュラリティが到来することはないと、著者は断言する。だから人間を滅ぼすこともないと。とはいえ東ロボくんの偏差値は57を超え、MARCHレベルの大学に入る能力はあるのだという。これはどういうことを意味するのか。問題はここからである。
 中学、高校に通う生徒に、教科書や新聞レベルの文章を理解できるかどうかのテストを行ったところ、3分の1の生徒は理解できていないという結果が出た。教科書の内容を覚える以前に、教科書の文章が理解できないというのだ。文が読めない。つまり読解力がない。これはAIの苦手とするところと同じである。AIはこれからも発達していって、今人間が行っている仕事もAIに置き換えられていることは容易に想像できる。そのとき、AIがすべての仕事を奪うことはない。人間にしかできない仕事があるからだ。文章を読んで理解し、正しい推論をして判断するというようなことだ。しかし現状は、これらのAIの苦手とする分野を担えない人材がかなりの数存在する。つまりAIのできることしかできない人材は、今後仕事がなくなっていくということだ。著者はそのことを憂えている。
 教科書を読めない生徒がかなりの人数存在するという事実を、多くの教員などに認識してもらい、それをどうやって改善していったらいいのかみんなで考えてもらいたい、という活動を著者はしている。小学校から英語やプログラミングをなんて話が進んでいるけれど、その前にもっと大事なことがあるだろうと著者はいう。詳細は本書に譲るけれど、そうやって人間とAIがうまく共存できる世界をつくっていけるよう、皆が認識を新たにして努力していく道筋づくりを応援したい。

笑顔

 好きな芸能人とかいるの?とか訊かれて何人かの名前を挙げると、幸薄そうな人ばっかりだね、と言われたりする。
 それと関係があるのかどうかはわからないけれど、人物を描くときもちょっと愁いをおびた横顔を好んで描いてしまう。笑顔を絵にしようとはあまり考えたことがなくて、ほとんど描いてこなかった。
 でもどういう風の吹きまわしか、この絵だけはどうしても形に残しておきたかった。純粋な笑顔を画面いっぱいに引き伸ばして、ただこの表情を描いてみたかった。背景を描いてストーリー性を持たせようかとも思ったけれど、余計なことをしないで緑一色で塗りつぶした。
 逆説的だけれど、この満面の笑みを見ていると、逆に胸が締め付けられるように辛くなることもある。複雑な思いが頭をよぎったりもする。でも、この一瞬を永遠に固定する作業は、私が手を動かせる今のうちにやっておかなければ後悔すると思った。できあがった絵自体は特別な意味を持っているわけではないので、観る人それぞれが好きなように感じてくれればいいのだけれど。胡粉ジェッソにアクリルガッシュ。

2018年5月27日日曜日

『ずっと…』(押尾コータロー)ウクレレソロにしてみた

押尾コータローがインディーズ時代に作った曲『ずっと…』をウクレレソロにしてみました。ウクレレはカマカで、High-Gチューニング(上からGCEA)です。かなり前にも一度アップしてるんですが、演奏が気にくわなかったので、少しはまともに聞こえるように努力してみました。実は打ち込みだったりして(笑)。ご自分の耳で判断してみてください。

2018年5月20日日曜日

『Solo』Nils Frahm

 2015年。ニルス・フラームによるピアノアルバム。
 このアルバムは、高さ3.7メートルもの高さのあるKlavins M370というアップライトピアノを使って録音されている。音はやわらかく深みがあって、ややもの悲しい雰囲気も感じられる。ギターで言えばギブソンのアコギのような印象に少し近い。すべての楽曲が即興によるもので、わりとシンプルで静かなものが多い。前半はそうやって流して聴けるような曲の構成になっているけれど、後半は、ピアノらしからぬ音を奏でる(なんだかストリングスのような)『Wall』みないた激しさのある曲や、低音の響きが印象的な『Immerse!』、ドラマチックな『Four Hands』のような曲も入っている。オーヴァーダビングしているように聞こえるものもあるけれど、すべて一発録りだという。
 実は本作はチャリティ・アルバムでもあって、彼の友人のピアノ職人David Klavinsが作ろうとしている高さ4.5メートルのピアノKlavins M450(このアルバムで使用されているKlavins M370のさらに大きい版)製作のための資金調達のための作品でもある。彼は毎年の88番目(ピアノの鍵盤数が88)にあたる日を「Piano Day」とすることを宣言して、このピアノソロアル バムを急遽リリースしたのだという。ちなみにWorld Piano Newsによると、プロジェクト発足から3年が経った2018年初めに、Klavins M450は完成した模様。リンク先に写真が掲載されているけれど、ピアノとは思えない壮大な形をしている。

2018年5月19日土曜日

『宗教国家アメリカのふしぎな論理』森本あんり

  NHK出版新書。[シリーズ]企業トップが学ぶリベラルアーツのうちの一冊。
 アメリカという国がよくわからないと、ときに感じる。科学の最先端を行っていると思っていたら、国民の結構な割合の人が進化論を否定したりしているみたいだし、最近では科学に対する予算が削られたりしている。世界平和を願っているのかいないのかもよくわからない。アメリカ・ファーストを叫びながら、それってアメリカ国民にとってもよくないことじゃん、と突っ込みたくなることもある。とここまで書いてきて、この疑問って「トランプがわからない」と言ってるのと一緒じゃないか、と思った。
 本書によると、トランプ大統領のような大統領は、アメリカという国にとっては別に珍しい部類に入るわけではないのだという。ジャクソン、アイゼンハワーなど、似たような大統領は今までにもいたらしい。ではなぜこのような人が多くの支持を受けるのか。
 それは特殊な宗教国家としてのアメリカの事情にあるらしい。成功している人は神に祝福されている。祝福されている人は成功する。成功しないのは努力が足りないからだ。極端に言えばこういう論理らしい。しかしキリスト教は、元々は勝者だけじゃなく敗者(という言い方は適切ではないかもしれない)も救う宗教だった。初期のキリスト教は実際受難の歴史を辿ってきて、必ずしも成功者ばかりが信じる宗教ではなかった。ところがアメリカは、この受難を経験していない、つまり幸運にも勝者の論理だけで突き進んでこられた国家だというのだ。なのに今のアメリカ国民は、ラストベルトに代表されるように勝者とは言えない人たちが増えてきた。彼らは、なぜ自分たちは救われないんだろうと自分たちの「負け」を理解できない。キリスト教による「富と成功」の福音、そんな伝統がアメリカを覆っているのだという。
 そしてもうひとつの忘れてはならない伝統が「反知性主義」なのだという。これは勘違いしがちだけれど、「反・知性」なのではなく、「反・知性主義」と解釈すべきだという。つまり知性そのものに対する反発なのではなく、ハーバードに代表されるエリートと政治が結びついて権威となることに対する反発なのだという。そして反知性主義とポピュリズムは相性がいい。
 こんな風にして、宗教国家としてのアメリカを解説しているのが本書である。新書という形式上、著者としては言いたいことをすべて盛り込むことはできず論理の飛躍があったりする部分もあるんだろうとは思う。しかし、単純にアメリカを自由と平等の国だと考えるのは早計すぎる、というのは本書を読むとよくわかる。現代の世界情勢を語る上で、こういったアメリカの特性を知ることは必須の知識であろう。

2018年5月13日日曜日

『失敗の科学』マシュー・サイド

 ディスカヴァー・トゥエンティワン。有枝春 訳。副題「失敗から学習する組織、学習できない組織」。
 失敗が人命に大きく関わる業界として、医療業界と航空業界がある。ところがこのふたつの業界には大きな違いがある。患者の10人に1人が医療過誤によって死亡または健康被害を受けているとの研究結果もある医療業界。それに対して2014年のジェット旅客機の事故率が100万フライトに0.23回という航空業界。その違いはどこから来るのか。それは失敗との向き合い方にあるのだという。失敗の原因を、仕方のないこと、個人の資質の問題にするのではなく、徹底的に科学的に調べ上げ、業界全体で共有していけているかどうか。
 医療業界だけでなく、政治においてもふつうの企業活動においても、さらにはスポーツにおいても、失敗が起きたときに誰かをスケープゴートにしてそれで解決させてしまっていることはないか。本当にその誰かがすべての責任を負うべきなのか。他に問題はないのか。こうした解決を行うことで、真の原因は改められることなく、同じ事故はいつまでも続く。逆に失敗を隠蔽することにつながり、 事態はいっそうひどい状況になっていく。本書ではそのような具体例を数多く取り上げ、失敗との向き合い方を指南する。
 大きな成功を収めている企業やスポーツ選手らは、ずっと成功の道を歩み続けてきたわけではないのだという。数多くの失敗をし、それらの原因をこまめに調べ、改善を行い、次につなげていく。そういった努力の積み重ねが彼らの成功につながっている。
 日々の報道、SNSなどを見ていると、安易な犯人捜し(魔女狩り)に終始し、それだけで満足してしまっている例が多くあるように感じる。人間はそういったスケープゴートをターゲットにすることで変な満足感、正義感みたいなものが満たされてしまう生き物なのかもしれない。しかしそういった行動や懲罰は問題解決にはつながらない。むしろ問題の本質を隠すことさえある。組織の成長だけではなく、個人の成長、社会の成長のためにも、本書を一読して、失敗との向き合い方を今一度考え直すことが大事だと感じた。