生成AI時代の言語論 (大澤真幸THINKING O 020)

 左右社

著者は社会学者。

本書はAI研究者の松尾豊氏との対談、認知科学?者の今井むつみ氏・秋田喜美氏との3者対談、大澤氏本人による小論文数本から成っている。

対談では、「フレーム問題」と「記号接地問題」を主に取り上げている。

フレーム問題というのは、例えば今私がこうやってブログを書いているわけだけど、部屋の中は雑然としていろんなものが転がっているし、電話が来れば電話に対応するし、メールが来ればメールに目を通すし、といったふうにいろんなことが身の回りで起きている。なのにどうしてそんな雑念にとらわれることなく「ブログを書く」というフレームに集中できるのか?「電話をする」というフレームに集中できるのか?そういう臨機応変なことってAIにはできてるの?というような問題のこと。いわば今何について考えているのか、行動しているのかってことをAIは自分自身で認識できているのだろうか?ということ。

記号接地問題というのは、例えば「リンゴ」について話しているとして、人間は「リンゴ」という実物と、言葉としての「リンゴ」がきちんと結びついている。でもAIにはそれがないじゃないか。AIはただ言葉と言葉の結びつきやすさを統計的に判断して回答しているだけで、「リンゴ」という言葉と「リンゴ」の実物をきちんとリンクさせているわけじゃないよね、という問題。

確かにそれらの問題はAIに存在するんだろうけど、AIの仕組みを考えたらそんなのあたりまえじゃん?人間とAIは全然違うよね、と私は思いながら読んでいた。

対談において、著者はどちらかというとAIに対して未知なるものに対する不安というものが頭からぬぐい切れていなくて、そこのところをしつこく対談相手に回答を求めている、という風に感じられた。対談相手はそこのところの不安については案外と落ち着いて素直に考えているように見受けられた。

不安になるのはわかるけれど、そこまで怯えなくてもいいんじゃない?と途中までは思っていた。

しかし最後の論文で、こうなったらやばいだろうな、しかも十分ありうる話だな、と思われる問題提起が出てきた。

それは経済学者のヤニス・ヴァルファキスが「テクノ封建主義」と呼ぶ現代の経済システムの仕組みのことだ。

現代は資本主義中心の世界で、それがずっと続くと多くの人が思っている。しかしその資本主義はもう終わりかけていて、GAFAMに代表されるプラットフォーマーが封建領主の立場に立っていて、そのプラットフォームの上で無報酬で踊らされているのが我々一般人なのだという。

いや、これは空想の世界のことじゃなくて、本当に今起こっていることだよなとハッとさせられた。そうやって格差が広がっていっているのは嘘じゃない気がする。もちろん陰謀論とかじゃなくて本当に。

AIについてはこれまで割と楽観視してきたんだけど、ちょっと今のまま自由にプラットフォーマーの思い通りに世の中が進んでいくのは怖いなと思った。

世の中の情勢を観つつ、ときには自分も何か行動しなくちゃいけないことがあるかもしれないということを覚悟した。

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